2007年2月後半、その驚愕の第一報は突然舞い込んできた!

え?!・・・うそっ!

KCが、あの「Queen Fan Convention In Japan」に出演?!


信じられなかった。
しかし実行委員会からの出演依頼のメールは、どうやら本物らしい。


だってそれ「オフィシャル」だよ?・・・いいのか?KCで。(爆)

マジでそう思った。
でも、そう言った自分の顔は、嬉しさでニヤけていた。

そしてその日から、私も行動を開始したのだった。



◆ ライヴ告知の写真はこうして出来上がった!

3月、都内の某スタジオ内でリハを終えたKCに写真撮影をお願いした。
この時、私が撮りたいショットは二つあって、もちろん、どちらも本家クイーンの写真のショットだ。
面白いのは、前日KCに、その撮りたいショットをメールで説明した時、 「ひとつは、サード・アルバムのジャケと同じショットで、もう一つは、ジョンが真正面を向いていて、ブライアンは右、 フレディとロジャーが下を向いてる4人のショットなんだけど」という漠然とした言い方をしてしまったのだけど、 快くOKを出してきて、当日メンバー全員が完璧に近いほど、その衣装とアクセサリーを揃えて準備してきたことだった。 さすがクイーンファンである!


さて、最初に撮影したのは、その漠然とした説明で判ってくれたショットであり、 クイーンのアルバム「At The Beeb/女王凱旋」のジャケットにも使用されているショットだ。

リハを終えたKCの4人が早速これとよく似た衣装に着替えてくれて、各自、顔や手の位置と角度を確認しながら決めていく。 Yassさんがブライアンの口元まで見事に再現してくれて、ちょっと吹き出しそうになったが、そういう細かいところまでコピーするところが、 いかにもKCらしくて、美形揃いの本家に劣るのは当然だけど、不思議と雰囲気だけは感じさせてくれる。 私は4人のポーズが決まったところでシャッターを切った。


このショット、予想していたよりも結構うまく撮れていた事もあって、背景処理など元写真を加工していく段階で、 つい、メンバーの顔にまで手を入れてしまった。
それがコレ↓です。(初公開!)


アンタ誰?と言われそうなくらい顔が違う!TOHRUさんとらりさんの顔をイジりすぎました。(すみません)
自分でも調子に乗りすぎたと思ったけど、案の定、この画像を見たKCのメンバーから、「いくらなんでも、これは立派な詐欺罪になりますよ〜!これ俺じゃないし〜(笑)」と言われた。 だよね〜。(^^; 

ということで、背景処理だけで我慢した。我慢という言葉はこの時の私の本音です。 だって本家クイーンはこの時全員20代ですからね!全員40代のKCにはキビシ〜っスよ。顔のシワくらい消してあげたくなるっスよ。

撮影後、KCがタイトルを「女王遠征!」と付けた。そして後日"顔の修正処理をしていない画像"の方を「ライヴ告知」として、 web上にアップしたのでした。

K.C.Rhye 「LIVE INFORMATION」 - QUEEN Fan Convention TEO TORRIATTE 2007 -




◆ パンフレット作成秘話!

告知写真と共にもう一枚撮影したのは、 クイーンのサード・アルバム「シアー・ハート・アタック」のジャケットと同じショットだけど、 私の本来の目的は、「75年のクイーン初来日パンフレット」の表紙と同じショットを撮影することだった。

実は、今回「KCのパンフレットを作成したい!」という野望?!を持っていて、 勿論、コンベンション出演記念も含めて、全国から集まるであろうクイーンファンの皆さんに配布して、 少しでもKCの事を知ってもらいたいという気持ちもあり、「75年のクイーン初来日パンフレット」を元に作成してみたい!という強い意気込みがあった。
'75クイーン初来日パンフ表紙
裏表紙


早速、KCがこの衣装に着替えてスタジオ内に寝転んで、これと同じポーズをとってくれた。
メンバーを真上から撮るのは難しい。しかも狭いスタジオ内でやるのは、ちょっとツライものがあったが、 KCはそれぞれに頭の中にこの構図を描いているかのように素早く、手や顔の位置を決めてくれた。 しかしそのポーズが決まれば決まるほど、私は必死に笑いを堪えることになった。
美男子揃いのクイーンの4人だと、「画」になるが、純日本人揃いのKCの4人の場合は完全に「お笑い」になる! それはKCのメンバーも自覚していたようで、何度も私に「待った!」をかけて笑いを堪えていた。

撮影後、「このショットはイケる!」と思ったが、パンフレットの表紙が決まっただけで、中身については、 この段階ではまだ考えがまとまっていなかった。

4月、本家クイーンのパンフを何度も見返して、中身の構想を練る。
作成するパンフは、表紙も含めて、全8ページ(A4サイズを2枚重ねて真ん中をホッチキスでとめて、それを二つに折る)で、 1ページずつデザインを決めていく上で、本家のパンフの内容にできるだけ合わせたいと考えた。

しかし、本家のパンフの表紙を捲ると、2ページ目の一面にコマーシャルが掲載されていて、 全体的にコマーシャルページが多い。まぁ、それは省くとしても、3ページ目にはいきなりロバート・プラント(ZEP)の お言葉が冒頭を飾っているが、そのすぐ上の一際大きなフォント文字のセリフには当時の日本の匂いが蘇ってくるほど・・・・クサイ!

このセリフを同じようにパンフの冒頭に持ってこようかと、一時いろいろと考えたが、 このセリフ自体が当時の流行台詞をパクっているわけで、今現在の流行台詞でKCを讃えたとしても 面白味に欠けるし意味がない。結局、表紙を捲った2ページ目には先日撮影したステジオ内の風景写真を掲載して、 3ページ目はKCのライヴ写真と共に今回のライヴ日程を掲載しようと決めた。

そして、残るページを同じ企画にしようと考えて、それぞれ本家パンフから抜粋したのは以下のページである。

このページは、フレディを背景にして日本人アーテイストたちのクイーンに対するコメントが記載されている。 コメントを寄せているのは、「内田裕也」、「かまやつひろし」、「加瀬邦彦」、「加藤和彦」、「森園勝敏(四人囃子)」、「ガロ」の6人だ。
早速、KCにメールして、バンドに対するコメントを寄せていただける方々をお願いした。そしてこの背景写真には、 「女王遠征」のショットしかないと思った。

こちらはメンバー直筆の英文バイオグラフィと共に、日本文でメンバーの紹介が掲載されている。 これに合わせて、KCには、英文と日本文の両方でバイオグラフィを書いてもらうように頼んだ。
しかし意外なことに、英文のバイオはすんなりとまとまったが、日本文の方はフザけてくるヤツが約1名いて(爆)、 それを編集するのに時間が掛かった・・・・
『趣味は、愛車のフェラーリで高速道路を時速200kmでかっ飛ばし、
フランス人の彼女と浜名湖のうなぎを食べる・・・といった妄想をする事である。
さすらいの酔いどれ天使。俺のギターはボールが止まって見えるぜ!
些細な事では動じないが、あんときゃ焦ったねぇ。あ、おねーちゃん、焼酎おかわりね。
平成のナイスガイ、YASS。 俺に触れると感染するぜ!』

これ↑を編集するのが大変だったのである。(笑)

このバイオグラフィの各メンバーのライヴ写真については、私がこれまでに撮った写真の中には「これだ!」というものが揃わなくて、 同じカメラマンスタッフである、かけるさんにお願いした。
ということで、パンフの構想とデザインも決まったけれど、当然ながら私一人の力ではパンフは完成できない。 KC4人を筆頭にして、バンドに対するコメントを寄せていただける方々、そして同じKCのカメラマンスタッフである、かけるさんの協力無くしては・・・。

5月に入った。この頃の私はいろんな雑用に追われていて、作業時間が中々取れなかったりしていた。
しかしそんなある日、かけるさんからパンフ掲載用のライヴ写真が送られてきた!その写真は5枚とも、 私が期待していた以上の素晴しいアングルの写真だった!さすが、かけるさんだ。我然ヤル気が湧いてくる。
そしてその日から作業は着々と進み、まもなくしてパンフの全ページのデザインが出来上がった。

でも本当に大変なのは、それからだった・・・・

パンフはKCに相談して、全部で50部近く作成することになったが、両面印刷のため、 一回ずつ構成を確認しながら片面が乾くのを待って、それから両面を仕上げるという順序で、少しずつ印刷していった。
印刷が終わると今度は、1部ずつホッチキスで留める。ホッチキスで留めたものを、指紋が付かないように手袋をはめて二つに折る。
これらを毎日少しずつ少しずつ、作業した。

こうして、制作期間約3ヶ月、忘れもしない6月14日!KCのパンフレットがようやく完成した!





◆ シャイなKC!

そのKCのパンフレットを当日会場で配布させていただく事になったのだが、 ライヴ前の時間帯にステージ脇で、いざパンフ配布開始!となった時、KCのメンバーは無言で立っているだけだった。 それも、とても恥ずかしそうにして・・・・。
黙ってパンフを手に持っているだけだったからか、「これお幾らですか?」と聞かれ、有料だと誤解されてしまう始末。 それを見かねたのか、KCに喝を入れるかの如く、かけるさんが「皆、ダメじゃない!声を出して配布しなきゃ!」と大きな声を出してくれた。 そのお陰で全部配布する事ができたのだった。
・・・こういう時になると、何故か急にシャイになるKCである。





◆ 本番30分前!

ライヴ本番の30分前。楽屋でKCのヘアーメイクを手伝っていた時の事。
この時、私の緊張は最高潮に達していて、それは同じカメラマンのかけるさんも同じだったが、 KCのメンバーはと言うと、そんな私達とは対照的だった。
しかも!「初期のクイーンはアイメークが凄かったよね」という話になり、すぬさんを始め、らりさんのアイメークも少し濃い目に入れてあげていたら、 急にYASSさんが、「俺もちょっとやっとこうかな♪」と言い出して、鏡の前で、馴れた手つきでファンデーションをパタパタとやりだした。 その仕草を見てメンバーが笑う。そしてそれに応えるように、YASSさんがオカマ口調で言う、 「もぅ、最近シミが増えてきちゃってさぁ〜、タイヘンなのよねぇ〜」と。 ・・・本番前にそんな細かい芸をこんな楽屋でやって身内だけでウケてどーする!!
でもそれくらいリラックスしていたKCだった。





◆ こんなハズでは・・・・

それは、コンベンション開催日までカウントダウンが始まった7月に入った時だった。
KCから突然「当日のヘルプ!」と題したメールが私とかけるさんに届いた。 そのヘルプとは、「ライヴのアンコール前になったら客席に風船を飛ばして欲しい」という事だった。 初期のクイーンファンなら「75年X'mas Live」での無数の風船と女性のビニール人形が天井から降ってくるシーンを思い起こすと思うが、 私もそれを想起した。

しかし、その時のKCの提案は、「手に抱えられるだけの風船を持ってステージ下から客席に飛ばして」という内容だった為、 それだったら空気抵抗が少なくて弾力性のあるバルーンにしたらどうかと逆提案した。そこにかけるさんが賛同してくれて、 手頃な3フィートのバルーンが買えるサイトも探してくれた。それで「風船飛ばし」の企画は何とかまとまった。

当日、名古屋ホドムラインの会場に入ると、2階席が予想より広くゆったりとしていて、2階席の真下が客席になっていたことから、 バルーンは急遽、「2階席から降らせる」ことに変更した。 ところが!これが大失敗に終わったのだった・・・

準備していたバルーンは全部で5個だったのだが、本番で、バルーンを客席に落としたら、喜ばれるより先に、驚かせてしまったようで、 (そりゃそーだ!いきなりデカイバルーンが降ってくるんだから)それを跳ね返して楽しんでもらいたかったこちらの思惑は見事に外れ、 ただ落ちていって地面に転がったバルーンは、小さなお子様たちが見つけてくれて、しっかりと抱きかかえられていた。
こんなハズでは・・・・・・・・でもお子様にも楽しんでもらえたからヨシとしよう。





◆ 名古屋での熱い夜!

コンベンション終了後、関係者スタッフの打ち上げに参加。 この時、私は正直言って、連日の睡眠不足の極致にあり、ライヴが終わった安堵感もあってか、 ちょっと気を抜くとそのまま爆睡してしまいそうな状態だった。 しかしそれでも、異常なほどハイな気分が持続していたのは、やはり、あのクイーン・ファン・コンベンションにKCが出演できたこと、 その「感激」がすごく大きかったからだと思う。それともう一つ!今回のライヴ出演の準備をこうやってKCの4人とともに、 私とかけるさんの6人で、これだけ協力し合って、一つのチームみたいにして頑張ってこれた事、それが超〜最高に嬉しかった!!
KCはコピーバンドである以前に、メンバーが熱心なクイーンファンだという事、その集合体がKCであり、 メンバー4人ともそのつながりをとても大事にしているバンドである事。それを再確認した名古屋での熱〜い夜でした。
KCにカンパ〜イ☆☆☆



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